皆さんこんにちは!
先日からコロナ感染療養記(←大げさ)をシリーズで書いております。
TwitterやLINEをもとに時系列で書いていますので、刻々と症状が変わっていく毎日を孤独に闘っていた当時のことが昨日のことのように思い出されます(←また大げさ)。
これで軽症なのか……。
症状が急変したら孤独死もありえるな。
と不安に駆られながら何とか生きておりました。
食事は大丈夫なのか?
飲み物はあるのか?
熱は下がったのか?
と毎日心配してくれた方々ありがとうございました。
私にも心配してくれる人がいるじゃないか!
それだけで生きる糧になるのです。
これは大げさではない。
隔離期間が始まりました
12月20日(火曜日)。
体調不良(コロナ)2日目(隔離1日目)。
病院でもらった薬を飲むために何か食べる必要があったのですが、食欲がなく喉の痛みも相まって全ての固形物拒否の状態でした。
冷蔵庫の中には作り置きの食料達がパンパンに詰められており、それが精神的圧力にも感じられました。
唯一受け入れられるものは、タラミの大きなみかんゼリーで食べても食べなくても良いのなら食べないのですが、薬を飲むためだけに必死に食べました。
あまりの体のキツさで、
以下↓良い子は絶対真似しないで欲しいのですが、
用法用量を守ることなく、薬を飲んでいました。
飲まずにはいられないのです。
”1日3回、食後、数時間開けて”
なんて、その当時の私は聞く耳を持たなかった。
寝て起きて、目が覚めたら薬を飲む。
のどが痛いから飲む。
熱が下がらないから飲む。
思い出したから飲む。
何となく飲む。
を繰り返していました。
毎晩、ベッドで眠りについても、数時間後には汗だくになって下着まで全部取り替える日々が数日続きました。
夜中、目が覚めたついでに薬を飲むので、案の定、今度は胃が痛くて眠れなくなることも何度もありました。
コロナから復帰できても、1ヵ月程はあまり食べることが出来なくなってしまったのは、この薬の飲み方で胃が壊れてしまっていたのが原因だと今になって思うのです。
コロナのせいではなく、自分のせいだ。
遂にやってきた止まらない咳地獄
コロナ感染での喉の痛みは、風邪を引いたときの喉の痛みとは違いました。
私は幼いときから扁桃腺が弱く、喉の痛みから体全体の不調に繋がることが多いのですが、
コロナでの喉の痛みは、扁桃腺の表面的な痛みではなく、喉から肺に向かっていく首の中心部分が直線的に痛かった。
そんな感じです。
伝わって下さい。
汲み取って下さい。
そして、12月21日(水曜日)。コロナ3日目。
遂に咳が出始めました。
もうね、エンドレス。
吐くまで出るんだろうね……。
と恐怖を感じるくらい、ゲホゲホが止まらないのです。
何ならついでに鼻水まで出てきた(鼻水の症状はすぐに治まりました)。
熱は下がったかな?
と思っていても、夕方になるとまた上がる。
(きっと薬の効果があっただけなのでしょうね)
こんな状態が続いていました。
熱が下がったついでに、キッチンに立つことにしました。
こんな時は、お粥もしくはおじやを食べてみよう!
ということで、冷蔵庫を開けてみると、ポテトサラダやごま和えやコールスローまで入っている。
あ~~~(叫べ~ソリジロ~~~!!)!!!
私が考えた最後の手段。
絶対に捨てませんよ。
私は食材は残さない。捨てない。
これ徹底していますので。
どうやって消費したか?
全部温めて食べました。
おじやの具にしたり、こんがり焼いたり^^。
冷たいままは体が受け入れない(胃が壊れ気味なので)が、温めれば何とかなる。
ポテトサラダもコールスローも、チンしたりトースターで焼いたりして数日掛けて全て食べました。
だからなのか、今でもあんまりサラダ系は食べたくならない……。
次回予告
次回で私のコロナ感染療養記も最終回です(←大げさ)。
夜中にゲホゲホが止まらず眠ることが出来なかったこと、
そして、年末2日だけ仕事復帰をしたことなどを書いてみようと思います。
年末年始は全く食欲がなく、というか記憶もなく、大掃除さえもしていません。
年末、ほぼ最終日に、家の中で足の小指を負傷までした。
厄落としだったのか?
今でも小指が腫れ上げっているので、きっと骨折かひびが入っているかのどちらかでしょうね。
自然治癒を待つことにします。
コロナの辛さに比べたら何てことない。
節分・立春を迎えた2023年今日この頃。
皆様、無理せずボチボチ生きていきましょう。
それでは、また!
最近食べて美味しかったものをおまけで↓
価格:1,000円 |