早く離婚すればいいのにといつも思っている子供時代を過ごしました。

私が高校2年生の時に、親は離婚しました。

正直、

「やっとか。」

という感想しかありませんでした。

親は子どもの前で喧嘩してはいけない

幼少期は海の近くの一軒家で過ごしました。

海まで走れば2,3分で行ける距離なので、庭を沢ガニが横切る光景は日常茶飯事でした。

そこで両親と私3人で暮らしていました。

幸せに暮らしていたのかというと、

答えは「ノー」です。

母親が泣いている姿を、数えきれない程見てきました。

夫婦げんかの原因は、

  • 仕事のこと
  • お金のこと
  • 暴言(暴力はなかったはず)

など色々あったと思います。

幼いながらも、家庭の不穏な空気を感じ取ることが出来るようになっていました。

なりたくもないのにです。

喧嘩の収集がつかなくなると、母は私を連れて家を出て、祖父母の家に向かいます。

そこから学校に通い、数日後に父が迎えに来れば帰る。

それをずっと繰り返していました。

祖父母が守ってくれた

私は幼いときに家出をしたことが2回あります。

1回目は幼稚園児の頃。

その当時、母も働いていて、祖父母が幼稚園バスの送迎をしてくれていました。

朝早く祖父母の家に連れて行かれて、母親のお迎え時間まで祖父母の家で過ごす。

土日は祖父母の家にお泊まりをする。

そんなライフスタイルでした。

私はその当時の感情まで鮮明に記憶しているわけではないのですが、

”親がいる家に帰る必要なんてないよな?”

”ただ、寝に帰るだけの家なんて自分には必要ない。”

と、きっと気付いたのだと思います。

ある日、母親がいつものように迎えに来ても、幼稚園児の私は泣き叫んで一緒に帰ることを断固拒否しました。

その当時は、祖父母の子どもになると真剣に考えていました。

その後、数日間は祖父母の家で過ごしたと思いますが、結局連れ戻されました。

2回目は小学生の頃。

母親と喧嘩をして家を飛び出しました。

行くところは祖父母の家しかない。

10キロ以上の距離を、ひたすら歩いて祖父母に助けを求めました。

歩いて来たことに2人とも驚いてはいたけれど、私を責めることはなく、母を叱ってくれました。

両親が喧嘩して、夜遅くに母と私が祖父母の家に転がり込んでも、いつも何も言わず暖かく迎えてくれた2人。

祖父母が近くにいてくれるだけでホッとしました。

好きだと思ったことが一度もない

母を苦しめる存在、悲しませる存在、泣かせる存在

=父

だったので、幼い頃から現在に至るまで、好きだと思ったことが一度もありません。

反抗期の娘特有の父親への嫌悪感とかいうのとは異なります。

自分の中では、好きとか嫌いとかの対象にもならない。

空虚な感じ。思い出したくもない。

小学生の頃、

父の怒りが自分に向けられたとき、

首元(うしろ)にたばこの火を押しつけられたことが一度だけあります。

翌日、制服のタグがそこに当たって痛いので保健室に行きました。

保健室の先生に、

「どうしたの?」

と聞かれても、やはり本当のことなんて言えませんでした。

父にやられたなんて言えば大騒ぎになることが分かっていたからです。

どんな親でもいないよりは、いた方がましなのか?

自分が経験してきたから分かりますが、いない方がましな親もいる。

幼い頃に刻まれた悪夢のような出来事は、今現在でも心の中から消えることはないのです。

ちなみに、その後産まれた弟は、お風呂の中で顔を何回もお湯に突っ込まれて窒息させられそうになりました。

ただそれをやられる側ではなく、助ける側になっただけで、記憶には一生残り続けるのです。

幼い子どもが虐待されて亡くなるニュースを見るたびに、自分の過去を思い出してしまいます。

素敵な親子

今日、特別養子縁組のドキュメンタリー番組を見ました。

当事者である少年が、

  • 自分を生んだ母親が既に死亡していた事実を知り、
  • 預けられた当時の靴や服などを宝物と言って大切に保管していたり、
  • 預けられた現場を自分で見に行ったりする

など、自分の過去をきちんと受け入れている姿に圧倒されました。

そして、養子縁組をされた現在のお父さんやお母さんの大きな愛も感じることができました。

とても素敵な親子でした。

心と心で繋がった、暖かい親子でした。