家族3人だけでの新生活が始まりました。
母がどうやってやりくりしていたかは分かりませんが、何とか暮らせてはいけました。
私は受験生です。
地元の大学を目指して日々勉強に励んでいました。
大学進学を諦めるべきだったのか?
やはり、その時の家庭の状況を考えると、私が大学進学を諦めて就職すれば、母が楽になっていたことは間違いないと思います。
でも私はそれを選択しませんでした。
「なぜか?」
と聞かれると、明確な答えが自分の中にあるわけではないのですが、何か意地のようなものに突き動かされていただけのように思います。
「この職業に就きたい!」
とか、
「この研究をしたい!」
とかいう目標があったわけではありません。
何となくですが、祖父母や親戚からは「行くな」という空気が流れていて、それを私は敏感に感じ取っていました。
当時の私はただ、抵抗したかっただけなのかもしれません。
大学に合格しました
浪人は出来ないと分かっていたので、必死で勉強して無事に合格しました。
地元の大学なので家から通うこともできます。
もちろん奨学金を借りて進学することにしていました。
しかし、ここで問題が起きました。
奨学金を借りるためには、連帯保証人を立てる必要があるのですが、親戚の誰もが連帯保証人にはなってくれないという事態が起きてしまいました。
そうです。
私たちには経済力もなく、信用もないのです。
母は奨学金を借りるために奔走してくれました。
祖父母では年齢の面から連帯保証人になるのは無理なようでした。
最終的に、遠くに住んでいる叔父が協力してくれたのですが、この一件から、母が少しの間兄弟姉妹とギクシャクしてしまうこととなりました。
私のせいで母や叔父叔母に迷惑を掛けてしまったことを、今でも申し訳なく思っています。
やはり叔父叔母の立場からすると、あの当時の私の連帯保証人はきつい。
今の年齢であれば、自分でも理解できます。
大学を卒業して、法律事務所に就職が決まり、給料とボーナスから決まった額を奨学金の返済へまわし、30代半ばで無事に完済しました。
途中で返済が出来なくなって、
「ほらね。」
と言われるなんて絶対あってはならないことでした。
弟は関東の大学に進学しました。
弟も奨学金を借りて進学したのですが、連帯保証人には私がなれたので、私の時のような問題は一切起きませんでした。
そして、仕送りについても、私が4年間、弟のアパートの家賃を払うことを約束しました。
長女はどんな存在なの?
念願の弟が誕生したときは心底喜びました。
生まれた日から毎日一緒に過ごし、色んな初めてのことに立ち会うことが出来て、本当に幸せでした。
- 一人で寝返りが出来た!
- ハイハイが出来た!
- 段差を上ることが出来た!
- 離乳食を食べた!
- 1歩だけ歩いた!
- 喋った!
全てが喜びでした。
そんな弟も、もうすぐ30歳になろうとしています。
弟は幼い頃、母と私に守られて生きてきました。
親がしょっちゅう喧嘩をしていたことなんて知らないでしょうし、母がいつも思い詰めて悲しい表情をしていたことも記憶にはないと思います。
ましてや、お金の心配なんてしたこともないはずです。
私は、還暦をとうに超えた、現在の母の健康状態や経済的状況について、弟ともちゃんと話し合うべきだと何年も前から母に助言をしているのですが、
どうしても母は弟に隠そうとします。
関東の大学に進学し、就職し、九州から遠く離れている弟には心配を掛けるとかわいそうだと言うのです。
母の中で弟は、いつまで経っても守るべき存在なのですね。