家族の思い出ってあるかな?
と自分に問いかけても、何も思い出せません。
家族で出かけたことはほとんどなく、家族旅行なんて一度も行ったことはありません。
写真やビデオカメラの映像も何もない。
思い出せないのではなく、元々ないのです。
弟ができました
ずっと一人っ子だった私に弟ができました。
11歳離れた弟で、名前は私が付けました。
しかし、私が高校2年生、弟が幼稚園の年長の時に、親は離婚しました。
離婚直前、母は私にこう言いました。
「高校卒業したらいなくなるから、探さないでね。」
私の高校卒業なのか、弟の高校卒業かは今では分かりませんが、母はかなり追い詰められていたのだと思います。
一度、母が私を置いていなくなったこともあったので、
「本気だな。」
と思いました。
そんな矢先、すんなり離婚が決まりました。
私は母に何度も、
「離婚すればいい。」
「離婚した方がいい。」
と伝えてはいましたが、やはり離婚後の生活のことを考えると踏み切れずにいたようでした。
しかし、結局は勢いで離婚が決まったという感じでした。
親戚総出で荷物を引き上げました
私も祖父母も親戚もみんな、離婚に賛成でしたので、週末に親戚総出で荷物を引き上げました。
必要最小限ということではなく、母が結婚したときに持って行った婚礼の大きな家具類も全て引き上げる、とても大がかりな作業になりました。
そして、私たちがどこへ行くかというと、祖父母の家しかありませんでした。
しかし、祖父母は、母の弟家族と数年前から同居を始めていたので、そこに転がり込むという何とも気まずい生活がそこから1年近く続くのでした。
名字が変わりました
弟があと数ヶ月で小学生になるので、新しい名字で学校に通えるようにとの意図はあったと思います。
私は高校2年生の途中から、いきなり名字が変わりました。
担任の先生に、
「親が離婚しました。だから名字が変わりました。」
と伝えたことを覚えています。
担任の先生は、給付型の奨学金と貸与型の奨学金についてのパンフレットをすぐに私に渡してくれました。
やはり多感な時期なので、学校で嫌な思いをしたこともあったはずですが、何も思い出せません。
聞こえないふり、見えないふりをしてやり過ごしていたのかもしれません。
クラス全員にわざわざ、
「親が離婚したんだよね。」
なんて言いません。
仲の良かった数人には言ったような気がします。
私の高校は、体育服のゼッケンが、シャツに直に名前を書くようになっていました。
自分で昔の名字の上から、新しい名字に書き換えました。
3人だけの新生活が始まりました
祖父母の家から出て、団地での生活がスタートしました。
一軒家→祖父母の家の一間→団地
私は受験生になりました。
弟は新一年生になりました。
養育費も慰謝料もない。
母が一人で私たちを育てる。
そんな生活が本格的に始まりました。