せっかくの3連休でしたが、私は有意義な過ごし方は出来なかったようです。
母に全てを打ち明けた1日目から、ず~っと泣いて過ごしてしまいました。
泣くとなぜか頭が痛くなるので、頭痛薬を飲む。
泣き疲れて寝てしまう。
それの繰り返し。
夜も思い出して泣いてしまうので、泣きながら眠りにつく。
そして次の日は目が腫れる。
こんな日々がこれからも定期的にやってくるのかと思うと、もううんざりです。
幼いときからそうでした
幼いときから”自分”という人間は、今と何も変わらないということを最近考えるのです。
気質とは生まれ持ったその人の本質で、性格とは成長するにつれて環境によって変化していくもの。
という説を耳にしたことがあります。
私はずっと変わることが出来ない。
自分で言うのも何ですが、幼いときから何でも平均点以上のことが出来る、大人から見ればちょっと鼻につくような子どもだったと思います。
学校の先生からすれば、言うことを守るし、成績も良いし、手の掛からない扱いやすい子どもだったのかな。
ぶっちゃけ、学校の先生から怒られたことなんて一度も無い。
どちらかと言うと、贔屓される方で、
私に対する先生の扱いが分かりやすい時は、周りの子達から反感を買ってしまう。
そういうことに苦しめられた学生時代を過ごしたこともあります。
というのも、すごく嫌みな言い方ですが、私自身が大人はこういう風に振る舞えば喜ぶんだとか、こういう風な文章を書けば賞がもらえるんだとか、
そういう空気を読む変な子どもでした。
大人びているとかではなく、
自分が無い
と言った方が正しいのか。
優等生の振りが上手だったとでも言うのか。
嫌な雰囲気をまとっている子どもだった気がします。
いつも学級委員を押しつけられたり、みんながやりたがらないことを任されてしまうのですが、面倒くさくても全てを受け入れていました。
自分の身を守るためには、良い子でいなければならないからです。
家庭での状況と全く同じです。
しかし、私が今置かれている状況と同じようにコップの水が溢れてしまったことがあるのです。
学級内で班ごとに分かれて作業をすることになったとき、やはり私だけに仕事が大きくのしかかってきました。
周りの子達は何もしない。
幼いながらに、その理不尽さに耐えきれなくなり、教室で大号泣したことがありました。
「何でいつも私ばっかり。」
大声で叫んだことを今でも覚えています。
GIVE AND TAKE
学校でも家庭でも職場でも、任されたことは責任を持ってやり遂げたいし、途中で投げ出したりはしたくない。
でも、私がやることが当たり前だと周りが思ってしまう。
=良いように利用されてしまうことが多いような気がするのです。
気のせいならそれで良し。
恩着せがましく、
- 私がやってあげたのに。
とか
- 私がいないとダメだね。
とかそういうことを思ったことはなく、ただ目の前にあることを必死にこなしてきただけなのです。
一生懸命やるが故に、周りが見えなくなってしまうだけなのか?
お互いが相手のことを大切に思い、助け合って生きていける環境に恵まれてこなかっただけなのか?
いつの時代でも、どんな状況に置かれても同じことが起きてしまう。
やはり、自分自身に何か問題があるのかもしれません。
独りよがりなのかもしれません。
今はまだ自分の何がいけないのかは分かりません。
自己分析は下手のようです。
ブログを書くことによって
ブログを書き始めて、自分の過去を振り返ることも多くなりました。
今まで封印してきた過去を時系列に整理することが出来たり、今の自分と過去の自分をつなぎ合わせることも出来たり。
頭の整理が出来ているようです。
今回母に打ち明けたのも、今私が置かれている状況は到底納得できるものではないと改めて感じ始めたのが理由の一つに挙げられます。
私が母に打ち明けたとき、母は、
「体が震えてきた。」
と言っていましたが、私はそれを何十年も一人で耐えてきたし、これから先、何十年もそれに耐えなければならなかった。
そういう理不尽さに一人で耐える必要なんてないんだと気付いてしまったので話しました。
私の頭の中で、経済的にも精神的にも必死に家族を支えてきた日々がばかばかしく思えてきたのです。
それが家族の中で当たり前になりすぎているように思えたからです。
- 私が守らなければならない。
- 私が引っ張っていかなければならない。
と強く思いすぎていたことを自分自身で反省もしました。
だから、今まで一人で背負ってきた荷物を一旦下ろそうと決めました。